中学時代。
・ただモテたかった
ダンスとの出会い。
その日々の変化について書く
中学生になり僕はさらにしらけてゆきました
家庭環境に戻ると、特にやりたいこともなく。
口癖の(つまらない)は継続
僕の世界からみんなの世界へ変わってゆく
学校という組織の中で、人それぞれ個性が目立つようになり、それに伴って僕自身の個性を消すようになりました。
学校という世界の中での評価が運動神経が良いやら勉強ができるやら、容姿が優れてるやら、面白い奴だとか。
ぼくが昔から周りと比べてしまうタイプでしたので、僕よりも優れた子がいるとすぐに諦める。
周りから見たら普通の子
運動ができるわけでもなく、勉強が出来るわけでもなく、カッコよくもなく、面白いやつでもない
至って普通
成績は、体育が4であとはオール3
それでも
普通が嫌でした。
「特別じゃなきゃ嫌だ!」
そんなこと思っていても
努力もしないし能力もないしめんどくさいし
そんな僕は
とんでもない病気にかかっていました
そう
「厨二病です」
いろんな思いがある中みんなの世界の一部になろうと必死で、なんだかんだ続いたバスケが僕の居場所でした。
これも、祖父の家へ一緒に行った仲間がバスケやっていたからバスケを続けたんですけど
そんなバスケも、周りについていけなくなり
中学2年生で辞めました。
先輩からは、
「おっ!!サボり魔山田」←苗字が山田
と言われてました。
授業が終わると、ほとんどの生徒は部活へ行く
当時中学生は、部活動に入り三年生まで続ける事が当たり前でした
部活動やってない子は、悪さをする子が多いイメージでしたけど
僕には、そんな悪いことをするわけにもいかず
(父が警察官ですからね。)
だから僕にとって学校は、クソつまらなかった
刑務所のようなものでした。
中学時代一大イベントの修学旅行
のバスの帰り。
(修学旅行は、あまり記憶がない…)
ふと、思います。
「モテたい…」
「めっちゃモテたい…」
なぜかそう思います。笑
(中学生男子の健全な想いですね。)
モテるにはどうすればいいのか?
モテる??
モテてるやつ??
ジャニーズだ!!
ジャニーズと言えば??
バク転だ!!
その日から変わった。
という事で、修学旅行の思い出など忘れ僕はバク転がやりたくてやりたくて、家に帰り、PCを開きバク転のやり方をひたすら調べました。
(当時は、今みたいにYouTubeですぐに調べれば分かりやすく教えてくれるわけでもなく、周りにバク転できる人もおらず…)
動画があれば、それをデジカメで撮って、コマ送りにして分析してました。
(僕の中学では、携帯を中学生が持ってる事が珍しかった。むしろまだそんなに普及してなかった)
帰宅部に成り下がり居場所を失った僕は、学校が終わるとすぐに家に帰り、布団を敷き
その上で、必死に練習
そしたら母に
「こんなところでやらんといて!!」
と怒られます
そりゃそうですよね…
渋々練習を諦める
だけど、モテたい!!
他に良い練習場所はないのかな??
「そうだ!中学校の格技室にマットがある!!」
クソつまらなかった学校に行く目的が僕に生まれました。
休み時間、一人で、格技室に忍び込み練習
掃除時間をさぼり、一人で練習
剣道部が練習してる最中に、一人で練習
隣の体育館では、バスケ部が黙々と練習をしている中少し気まずかったけど、バク転の練習
学校に行く目的は、勉強ではなく格技室のマットを使うために変わり
帰宅部になった僕はその分自由に時間を過ごす
すごく楽しかった。
1人でやっていると、興味を持った仲間が増え
1人でやっていたはずが、2人3人と増える
帰宅部だった僕が
中学校という組織の中に僕の新しい居場所を作った。
スゴく楽しかった。
それからモテたのかというと。
残念ながら
バク転が出来る=モテる
という方程式はなかった。
もちろんバク転はできるようになり
動画 31歳のお父さんが3歳の娘の前で、久しぶりにバク転してみた。
そして
先生に勧められ、卒業式の日学級のみんなの前でバク転を披露した。
たかがバク転?
と思われるかもしれませんが、当時の僕にはそれをやり遂げる事が目的であり、皆とは違うことアピールしたかったのかなと思います。
その後
様々なバク転の動画を調べていくうちに、ブレイクダンスというダンスに遭遇。
自分の体を使いアクロバティックに表現する様は、スゴくカッコよく見えた
体に電流が走るような感覚で
「これだ!!」
ブレイクダンスにハマる。