銀の日常

僕の日常とこれからの物語

高校時代 自己分析

キットカワルダロウ
高校時代、人間関係

そもそも勉強が出来る子ではなかったので、入れる高校に進学

そこで現実を知る。

他校の生徒とケンカしてる輩、入学して数日経っていなくなる輩やらロッカーがボコボコだってり、どちらかというと普通より荒れてました。

僕は、その高校の中だと少し勉強ができた方なんで選抜クラスに入る。

クソつまらなかった。

自由気ままに、やりたい放題している他のクラスが羨ましかった。

(ケンカしたり、ロッカーをボコボコにしたいわけではない)

高校に行って
別に勉強したいわけではないし

そう

僕はただ

「モテたいだけなのだ」

高校行ったら、キット変わるだろう。
モテるだろう。

(不純な動機)

しかし
個性豊かすぎる生徒たちの前では、バク転ができる奴など気にも留めない。

需要がなさすぎるんだと気づく

高校時代需要があるのは、勉強できる奴、イケメン、美女、面白い奴と相場は決まっている。

そんな生活の中でも唯一の楽しみである
ブレイクダンスは、ひたすら続けていた。

ダンス=モテる

を、信じて

である。

高校一年生の時、必ず部活動に入らなきゃいけない謎のルールが僕の高校にはあった。

僕は、渋々バスケ部にはいる。
だけど僕は、バスケじゃなくダンスやりたい。

そんな事が伝わったのか

バスケ部の部長に呼び出され

「お前は、バスケやりたいのか?ダンスやりたいのか?」と聞かれ

僕は、即答

「ダンスです!!」

部長

「なら辞めろ!!」


「はい!!」

そして僕はまた帰宅部になり
自由の時間を手に入れた

授業が終わると、皆は部活へ行く
僕は、ラジカセを持って、体育館へ行く

音楽を流し、バスケ部が練習してることなど気にせず、体育館の舞台の上でダンスの練習をした。

だって、ダンスやりたいし
舞台上は、誰も使ってないからね

先輩たちも呆れたのか興味がないのか
あまり気にも留めなかった。

その後の高校生活はというと、僕の高校にはダンスやっている子がほぼおらず。

高校の授業が終わると、ラジカセを持ってダッシュで電車に乗り
(田舎の高校なんで一時間に2本しか電車が来ない)

文化センターに行く

なぜか??

そこに行くとダンスをやる仲間がいると聞いたからだ。

ダンスやるためにそこに集まってる人がいる
スゴく嬉しかった。

僕の居場所を見つけた!!

その後、ブレイクダンスのチームを作り
色んな大会に参加した。
地元の祭りにも参加した。

当時ブレイクダンスの登竜門と言われる
B-BOY商店街にも参加した。

当時の僕らのチームは、個性豊かだった

しまむらで買ったシャツに黒のスプレー缶でB-BOYと書いてある服を着ながら、ボロボロの原付でやってくる先輩

真冬にボロボロの原付でやってきて、原付から降りた途端に、ポケットから手袋を取り出し

一言

「今日は手が冷えるな。」

えっ
バカなの??

愛嬌のある猫みたいな先輩とか←海外へダンスを教えに行った

めちゃめちゃ声のでかい後輩とか←ブレイクダンスの世界大会へ行った。

なんか面白かった。

そんな仲間たちと
ジャッチ賞をチームで貰ったのはいい思い出である。(たしかB-BOY商店街vol15、end rollにカニさんクルーと書いてある←当時のチーム名、今思うとスゴくダサい…笑)

当時、唯一のダンス番組
少年チャンプルをかじるように見た
録画して、コマ送りして技の分析もした

ヘッドスピンやりたかったし、トーマス、ウィンドミル、Aトラックス、エアートラックスとやりたい技は沢山あった。

正直言って、僕はダンスが出来た部類ではない

それでも
雨の日も、真夏の日も、雪の日もダンスのことばかり考えてた

それが楽しかったし

何よりも目的があった

「モテたい」

ただそれである

そんな事を思いながら

高校3年の時

初めて彼女が出来た

僕の目的は達成した

そしたら自然とダンスの熱量が下がっていった

結論

彼女とも続かず、ダンスも辞めた

今思うと目的を達成して
燃え尽きたんだと思う

当時のダンスメンバーのうち

1人は海外へダンスを教え
1人は世界大会へ出場している

当時の僕とは違いダンスの熱量が違っていたのだろう

僕はというと、彼女出来たらそれでよかったのだった。

その後、高校3年の文化祭でブレイクダンスを披露した。

理由は、あまり覚えていないが今振り返るとバンド演奏の前座だったんだろうと思う

文化祭のオオトリといえば、バンドである。

めちゃめちゃ盛り上がっていた

高校最後の文化祭が終わり

高校生活が終わる

ダンスもやめた

これから何しよう…